増永眼鏡に学ぶ眼鏡の歴史

こんにちは。松戸店のバイヤー担当です。

これから不定期的になると思いますが

ブログを書かせていただこうと思っております。

私は眼鏡業界で約20年仕事をしておりますが、

その経験の中でぜひ聞いてほしい。ぜひ語りたい。

そんな話をこの場を借りて書き綴りたいと思っております。

駄文長文が多いかと思いますが、興味のある方は時間つぶしにお使いください。

さて本日は「増永眼鏡」についてお話したいと思います。

まずは簡単な成り立ちから。

「増永眼鏡」は1905年(明治38年)

福井県にて増永五左衛門によって創業されました。

日本でも有数の豪雪地帯である福井は田畑が少なく、

当時の庶民の生活は貧しいものでした。

地元の名士だった五左衛門は庶民の生活水準を引き上げるため

特産となるような産業を探していました。

そこに実弟の幸八がめがね作りを提案し、

現在まで続く福井の眼鏡産業が幕を開けました。

そう福井の眼鏡産業の全ては増永眼鏡から始まっているのです。

増永眼鏡の歴史は日本の眼鏡産業の歴史と言っても過言ではなく、

これを語りだすと大河ドラマ並みに長くなってしまいますので

泣く泣く割愛させて頂きますが、興味のある方は増永眼鏡を舞台とした

映画「おしょりん」が2023年11月3日より

全国ロードショー予定ですのでこちらをご覧になってみてはいかがでしょう?

(私は小説版を読みましたが不覚にも泣いてしまいました)

おしょりん 今秋公開映画

ではここからは、私の目から見た増永眼鏡の魅力を語らせていただきます。

増永眼鏡の最大の魅力は上記の通り「歴史」です。

世界的に見ても118年のキャリアは珍しい。

しかし私の考える本当の魅力はその歴史に胡坐をかかず

常に新しいものへチャレンジをしている姿勢です。

新しい素材へのチャレンジ、新しい技術へのチャレンジ、

新しいデザインへのチャレンジ、海外市場へのチャレンジ、

自社一貫生産だからこそ保たれている品質と技術力を

背景に果敢にチャレンジし続ける名門。 ・・・かっこよくないっすか?

そのチャレンジ精神が体現されているシリーズが

MASUNAGA since1905 のChordシリーズ。

テンプルにゴムメタルを採用し独自のかけ心地を追求しているシリーズです。

ゴムメタル自体は十数年前に眼鏡業界でも話題になり

フレームに採用したメーカーもありましたが、

現在使用しているのは増永くらいではないでしょうか?

溶接の仕方や厚みの調整に長い研究の時間を感じます。

正直に申しまして調整は難しいフレームです。

ですが、一度決まれば他の眼鏡はかけられなくなるほどのかけ心地です。

増永社員の着用率の高さからもその完成度の高さが伺えます。

そしてこのブログを書いている正に現在この瞬間に、

ついに光輝one hundredが入荷しました。

1970年大阪万博でタイムカプセルに収納された歴史的名品

「CUSTOM72」の後継モデルとしてスタートした

光輝シリーズの記念すべき100番目モデル。

堅牢で重厚感のある本当に「いい眼鏡」を具現化した逸品と言って良いでしょう。

ジャパニーズセルフレームの最高峰。それが光輝one hundred。

メタルもセルもなんでも自社で作れる増永眼鏡は

本当に魅力が多くて語りつくせません。

このまま書き続けていくといつまでたっても終われないので、

増永眼鏡ブログ第一弾はここで終了させていただきます。